アジア経営学会

会長挨拶

アジア経営学会会長挨拶

 このたび、アジア経営学会第28回全国大会(中央大学多摩キャンパス(オンライン)、2021年9月10~12日)における理事会にて第9代会長にご選出いただきました。これから2024年9月までの3年間、微力ながらアジア経営学会の発展に奉仕させていただきたいと存じます。会員の皆様方にはご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。

 アジア経営学会は1993年に創立されました。その当時のことを少し記しておきたいと思います。1990年、韓国・延世大学への2年間の留学から戻り、初めての就職先となった名古屋の前任校では経営学の基礎科目を担当しつつ、韓国財閥の中でも三星(当時は漢字表記、現在はサムスン)についての研究を行っていました。当時からそうでしたが、韓国財閥の研究者は、国内においてもごく少数でした。

 1980年代の半ば、当時の指導教授である故野口祐先生(元慶應義塾大学名誉教授、アジア経営学会初代会長)は「(韓国研究のためには)きちんと韓国語を勉強しなさい」と言われ、韓国留学の相談に行くと「それは重要だ!行ってきなさい」と二つ返事でOKをくださり、元ソウル大学の著名な先生をすぐにご紹介してくださいました。

 三井・三菱といった日本の財閥は言うまでもなく歴史的な存在となっており、財閥研究はすなわち歴史研究でした。しかし隣国・韓国には財閥(同じ漢字表記。発音は「ジェボル」)が現実に存在し、李家・鄭家というファミリーがオーナー経営体制を構築し、国家運営にも多大な影響力を及ぼしている――といった事実を知り、歴史の中にタイムスリップしたかのような、妙な興奮を覚えたものでした。その興奮は35年以上経った今でも全く変わらず、それどころかますます大きくなり、韓国財閥研究は私のライフワークになっています。

 私が韓国に留学した1980年代後半は民主化宣言(1987年)、ソウルオリンピック(1988年)を経て韓国が新興工業国の筆頭に位置づけられる、まさに躍動感あふれる時代、先進国化を目指してひた走る時代でした。1980年代末には財閥創業者本人の多くが存命でしたが、今や完全に2世代目から3世代目へと世代交代が進んでいます。市場競争の結果淘汰され、かつての名門財閥の多くが消滅する一方、厳しい国際競争の中で勝ち抜き、アジアを代表するグローバル企業へと成長を遂げた財閥企業も多数存在しています。

 1997年、ちょうどアジア通貨危機(韓国では「IMF危機」)の年に私は現在の本務校に移りました。このIMF危機以降、その後もたびたびの激震に見舞われましたが、韓国財閥はしぶとく生き残り、時には政治の荒波に翻弄されながらも発展をとげてきました。日本や米国を追う立場であった韓国企業は日本と並び、あるいは追い越し、さらに中国企業などからは追われる立場になり、ますますグローバル競争環境は厳しさを増しています。

 現在に至るまで私は一貫して韓国財閥と向き合ってきました。その間、アジア経営学会からは常にさまざまな刺激をいただき、多くの先生方からはアドバイスを頂戴しました。まさに私はアジア経営学会に育てていただいた、というのが正直な思いです。

 ここで「会則」を見てみますと、「目的」として次のように記されています。

第2条 本会は、アジアの人々と連携し、経営を中心とした科学・技術・産業に関する学術的な相互交流を通じて、内外研究者の共同と親睦を深め、アジアの経営学の研究と普及を盛んにし、もって人類社会の友好と健全なる発展に寄与することを目的とする。

 学会創立当時に作られたこの「目的」はどの程度達成できたでしょうか。諸先生方、諸先輩方のご努力によって大きく前進してきたことは事実です。しかしまだまだ道半ばかもしれません。アジアの経営に対し高い知的関心をお持ちの会員の皆様方とともに、この「目的」を忘れずアジア経営学会を盛り上げていきたいと考えています。

 2022年の第29回全国大会(近畿大学)に続き、2023年9月には学会創立30周年を迎えます(第30回全国大会は慶應義塾大学三田キャンパスを予定)。アジア経営学会という場が、会員の皆様間でのさらなる知的交流をもたらし、その結果としてアジアの相互理解がますます深まることを祈念してやみません。会員の皆様のご健康、そしてご研究のさらなる発展をお祈りし、ご挨拶とさせていただきます。

 改めまして、3年間、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

2021年9月30日
会長 柳町 功(慶應義塾大学)

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