コラム:アジアビジネス関連書評
ビジネス小説に描かれた国際インフラビジネス
―木本正次(1991)「香港の水」と吉田修一(2015)「路(ルウ)」―
小林 守(専修大学)
木本正次(1991)「香港の水」は戦後の雰囲気もまだ残る1970年代の英国統治下の香港での国際的なインフラプロジェクト(上大規模水道工事)の受注競争を、事実をもとに描いたビジネス小説である。戦後まもなく、海外の大型工事受注にのりだした日本の複数の建設会社の物語であり、敗戦の失望感・脱力感から再び立ち直ろうとする日本建設業界の技術者の心意気や人柄を中心に描いている。
他方、吉田修一(2015)の「路(ルウ)」は21世紀開始直後の総合商社が主導して日本企業が連合を組んで挑んだ大型インフラプロジェクトを取り上げている。日本が世界に誇る新幹線を初めて海外(台湾)に輸出するという技術者の誇りと日本関係者の意地を小説化した作品である。
「香港の水」は1960年代の香港における上水道工事を受注した日本の建設会社、熊谷組と西松建設を中心とした物語である。登場する企業や一部の人物は実名で出ており、ノンフィクションに近い小説である。実際に筆者が後書き次のように述べている。小説の内容はかなりの程度事実に基づいているといってよい。
「本稿は新聞連載の時点では一面、ドキュメント小説であったが、また一面では生々しいニュースでもあった。そのため、登場人物は原則として日本人、中国人(香港人―筆者注)とも原則として実名を持ちさせていただいたが、・・・・・プライバシーの保護上、また本人のたっての希望で仮名にせざるを得ない人物があった1」
一方、吉田修一(2015)「路(ルウ)」は1990年代後半から2000年代後半までに行われた台湾における高速鉄道建設工事(台湾版新幹線工事)を受注した日本企業連合の中心である某総合商社を中心とした物語である。プロジェクトの経緯や時代的な背景は事実であるが、関係する組織は仮名にしており、登場人物は架空の人物となっている。
とはいえ、このプロジェクトが日本国内の技術の粋を集め、40年以上の開発・発展の歴史のある新幹線を海外に初めて輸出したものであることは紛れもない事実であり、工事の進捗や作品中の企業間や台湾当局や共同受注ともいうべき関係にあった欧州企業連合との関係は当時の報道に基づいている。それまで海外へのインフラ輸出入札で苦杯をなめることが多かった日本企業連合はこの工事の主要な部分を受注したという成功体験を基礎として、これ以降、東南アジア、インド、北米に官民一体となった鉄道案件の営業活動を広げていくことになる。日本の鉄道関係者にとっては誇らしい記憶であろう。
アジア太平洋地域では鉄道案件のプロジェクトへの需要が高い
筆者撮影(オーストラリア・シドニーのLRT)
さて、いずれの作品も日本の関係者だけでなく、現地の香港、台湾のほか、英国、フランス、ドイツなどの関係者も関連させた人間模様を描いた群像劇であり、それぞれが国や文化、そして生活や企業の事情を背負っての心理描写や行動描写はエンターテーメント小説としても面白い。しかし、この分野の研究者にとっては国際的な大規模なインフラ建設のビジネスに関係してくる関係各国の政治的な影響力(政府の関与)のありようも描かれており、この意味で一般にはあまり知られていない、海外の大型インフラプロジェクトの輸出に関わるビジネスについて学ぶにはよき参考になると考える。
参考文献:
木本正次(1991)「香港の水」、日本放送出版協会
吉田修一(2015)「路(ルウ)」、文春文庫
小林守(2023)「ビジネス小説に学ぶ国際プロジェクトのマネジメントー国際プロジェクトにおける異文化の壁と政府の関与-」専修大学商学研究所報 第54巻第2号
1 木本正次(1991)p.285