コラム:アジアビジネス最前線(FRONT LINE OF ASIAN BUSINESS)
2016年12月25日受付
ベトナムで菓子製造会社を起業:日本人として築いた20年
NhatAnh Trading Pt.Enterprise
(ニャット=アン=トレーディング会社)
相談役 安田佳朗
ベトナム人妻と菓子メーカーを起業し、ベトナム流通業界に身をおき2017年で21年目を迎えた弊社は、直接的あるいは間接的に外国人が関わるベトナム企業としては、いささか変わり種である。なぜなら、それが妻名義100%のローカル法人だからだ。ローカル法人に外国人が関与することは、当然ベトナムでは違法であるから、その体裁を「ベトナム人妻の事業を、夫である私が無給でアドバイスしている」という名目にしている。ただし実際、家内の庇護のもとに生活しているので、ここで書くことに嘘偽りはない。
そのような私だからこそ、ベトナム法人同士また対お役所とのやり取りや交渉に最前線で直截的に関与できる立場となっているので、すべてのビジネスの判断基準として常にナマの一次情報の活用を可能にしてきた。他方、外国企業との合弁事業や外資100%企業における外国人ビジネスパーソンの大部分は、すべてとは言わないまでも、言葉の問題等もあり、ベトナム人パートナーやベトナム人スタッフのフィルターを通した二次情報を収集できても、実際の本音の情報にはなかなか接しづらいのである。
ここで弊社の設立の経緯について説明したい。1996年9月の創業当時、ベトナムは日本国内において「最後の投資の楽園」と喧伝され、日本からこの国への日本人訪問者数は、ベトナム統計総局によれば、118,300人であった。その大多数が日本の自治体が組織した「ビジネス視察団」で構成されており、一般の観光客については2万人を少し下回る程度であった。産業としてのツーリズムの黎明期にあたり、その発展の将来性が充分に窺い知れる流れの中にいた。
私は日系ビジネスコンサルタントの駐在員としてホーチミンに赴任。そして通訳兼秘書として雇った妻と知り合って結婚。退職後、当時注目の旅行会社を立ち上げる程の資金もないので、直接ツーリズムに関わろうとは考えなかった。そこで、その周辺産業であるお土産、とりわけその中でも「お菓子」に着目した。ベトナムでも美味しく「お土産」になりそうなお菓子のひとつやふたつはあるはずで、それを探し、日本からの訪問客に受け入れられるレベルの品質に整えれば、いわゆる温泉まんじゅう的な商材として流して行けるのではと考えたのである。
さっそく、妻とふたりでホーチミン市内の市場をいくつも巡り、その中で出合ったのが、当地のカシューナッツ・ピーナッツ・ゴマなどを水飴で煮詰めたものをタピオカ=ウェハースの上に置いて手作業で成形した「岩おこし」のようなお菓子、Banh Keo(バインケオ)であった。試食してみると、日本人向きには甘さが少々効きすぎてはいるものの、子どもの頃の懐かしさを思わせるような風味。もう少し甘さを抑え、きれいなパッケージ包装に納めれば、おそらく日本人にも売れるだろうと直感した。
調べてみると、このお菓子を生産しているメーカーは2社あることが判明。さっそく業務提携に向けて交渉し、ほどなくその内の1社と契約締結できた。その決定理由は、同社が別の1社よりも僅かに工場内が整頓されていたからに過ぎない。商材であるバインケオがメーカーからバルクで弊社に送られてくる。その一枚一枚を丹念に検品しながら、当社でデザインしたパッケージに包装そして梱包した。最初は異物混入が頻繁にあり、仕入れてすぐに返品し、メーカーの工場に入って製造工程の見直しと生産指導を繰り返し、ようやく販売できるレベルに達するまでに3ヶ月を要した。
弊社で、最終仕上げを施したバインケオは市内の外国人観光客専門のお土産物店に卸すことにした。私自身、直接店頭に立たせてもらって試食用サンプルを片手に販売を始めると、日を追うごとに売上が伸びていった。当初の読みが当たり、妻とふたりで喜んだのも束の間、発売開始から半年が経った頃になると、メーカーからの納期が遅れ始めた。そして丁度一年が過ぎるころ、完全に商品供給が止められてしまった。生産委託先のメーカーの裏切りである。儲かると見るや自分たちで商品を生産、販売し始めたのだった。
このまま手をこまねいてもいられない。グズグズしていれば、今まで築いた販路が奪われる。幸い立ち上げ当時にメーカーで行った生産指導などから商品製造に関しては我々も熟知していたし、ほとんどの工程が手作業だったので、急ぎ会社の近くに100平米ほどの平屋の住宅を借りて工場とし、そこに自分たちで釜を設置し、自らがメーカーとして再出発することにした。
自らメーカーになって開拓した販路はなんとか守ったものの、すぐに問題が発生した。メーカーとなれば、大量生産しなくてはならない。従来のお土産物店だけでなく、一般流通させる必要が出てきたのだ。加えて、各外国人専用お土産物店では、もともと彼らの付ける商品の価格が高めだったこともあり、サプライヤーとして割高な利益率を載せるのが容易だったが、一般流通に載せるためには高すぎた卸価格をかなり落とさないと受け入れて貰えない。利益を削り、お土産物店以外の新規開拓と同時に、これまでのバインケオをもとに、商品のラインナップを増やしていった。
新規開拓当初、スーパーマーケットはベトナムにほとんど存在していなかったので、いわゆる現地のパパママストア(駄菓子屋)にセールスをかけた。すべて現金決済。掛けで売ろうものなら、次の訪問時に商品を隠し、「仕入れていない!」などとシラを切られるわ、酷いのになると、店そのものが消え失せてしまっていたということもざらにあった。弊社が幸運に恵まれていたのは、自社をメーカーとしてから1年後に、スーパーマーケットが一軒また一軒と誕生していったことである。当時、これらの量販店は、まだ珍しかった中間層向けに、ひとつ上のグレードの高い商材を探していた。市場で普通に売られている商材より、弊社の商品は見栄え・体裁・風味で同業他社を圧倒していたため、価格は幾分高めではあったが、量販店側から引き合いが寄せられ、それに伴って販路獲得の基盤が整備されていった。
メーカー設立後20年、2003年のSIRS騒動を除き、我が社の売上は、ベトナムのGDPの伸びと連動するように右肩上がりの上昇を見せている。販売先もベトナム全土に広がり、現在はベトナム菓子メーカー機能に留まらず、広大な販路を武器に食品関係(ローカル系・外資系問わず)メーカーと提携し、彼らの商材を弊社名義で市場に供給するOEM事業にも力を入れており、取り扱い品目を増大させ、経営規模の拡大を計っている。今後の20年の盤石な経営基盤の構築に邁進しているところである。OEM提携については、次のサイトに詳細を網羅してあるので、ご興味があればご覧いただきたい。ぜひ、ベトナムに来られる時は弊社にお声をおかけ下さり、ご意見やご助言を賜れば幸甚です。
NhatAnh Website http://www.nhatanh.com/ja/nhat-anh/
NhatAnh Shopsite http://shop.nhatanh.com/index.php?route=common/home
以上