アジア経営学会

コラム:アジアビジネス最前線(FRONT LINE OF ASIAN BUSINESS)

2016年8月31日

総合設備工事企業から見た東南アジア

富士古河E&C株式会社 海外事業本部営業統括部 主幹  
関沢正房

私は今月で74歳となりますが、これまでの人生の内、その半分以上を海外事業に携わって生きてきました。特段、語学力に優れているわけでもない私がこの歳まで“働く場”に恵まれているということは、お客様はもちろんのこと、これまで出会った方々、とりわけ海外においてお世話になった皆様のお陰であります。今回、私の半生を振り返りながら、私の所属している会社(業界)から見た東南アジアというテーマで寄稿させていただき、これまでお世話になった方々へのお礼に繋がればという気持ちで筆を執らせていただきました。

私の所属する会社は建設業に分類され、その中でもとりわけ設備工事を中心に事業展開しております。設備工事と一口に言っても、機器の据付、電気工事、工場内の配線、空調・衛生と様々な種類がありますが、当社はそれら全ての工事を請け負うことから(生意気ですが)“総合設備工事企業”と謳っております。詳しくは、弊社HPをご覧ください。http://www.ffec.co.jp/

その様な会社に所属する私が初めて海外に出るきっかけとなったのは、今から47年前の1969年でした。当時の時代背景としては、バンコクの空港はまだドンムアン国際空港で、高速道路もなく、当然エアコン付きのバスも走っていませんでした。また、日本においても(今では考えられませんが)日本円が1ドル=360円の固定レートで、持ち出し可能な外貨は20,000円相当の時代でした。そのような環境下で、非上場企業(現在は東証第2部上場)であった当社にとって、海外に進出するということは「かなりの冒険」と言わざるをえませんでした。それでも、日本国内で懇意にしていただいていたお客様からの強い要請や日系企業の今後の海外進出を見据えて、当時の経営者が英断し、当社として初の海外拠点(タイ・バンコク)の責任者として私は赴任することになりました。
入社以来、全く海外経験がありませんでしたので、当初は右も左も分からずコンサル会社の支援を借りながら何とか現地法人を設立し、見よう見まねで営業を開始しました。当初は日本国内で懇意にしていただいていたお客様の他、日系企業の第2次進出ブームとちょうど重なり安い労働力を求めた繊維関係の日系企業が多数タイに進出してこられており、運にも恵まれ沢山のお仕事を頂くことができました。
その後、1971年に起きた「ニクソンショック」で円が急騰したことにより、鉄鋼やガラス等の素材産業の日系企業が進出してこられ、さらに、「プラザ合意」後の円高では、タイの社会インフラ整備(高速道路や地下鉄の建設)や工業化(大規模工業団地の建設)とも相まって、自動車や化学といった日系の大企業やそれらのサプライヤーも進出してこられ・・・といった具合に、私の初めての海外駐在は“円高の進展”と共に順調に経過していきました。

約28年にも及ぶタイ駐在に別れを告げ、次に赴任した国はベトナムでした。当時のベトナムは、“ドイモイ政策”により経済分野では対外開放路線を取っており、多くの日系企業がベトナムを訪問しておりました。当社としても、ベトナムの発展に寄与することはもちろんのこと、進出する日系企業をサポートするため、現地法人の設立を決定しました。
ベトナムの事業の特徴としては、会社設立時にはベトナムの国営企業とタッグを組み“ベトナム流”で事業運営をスタートしたことが挙げられます。ベトナムは市場経済へ転換したとはいえ、国自体は社会主義国であることに変わりはありません。まさに「郷に入れば郷に従え」の通り、当社が“ベトナム流”を実現することによってお客様である日系企業とベトナム社会を繋ぐ「両者の橋渡し的な役割」を果たすことができたかと思います。また、もう一つの特徴としては、進出される日系企業の案件を単発で1件1件取り組むだけではなく、異業種である日系商社からの出資を受け入れることにより複数企業が参画するプロジェクトにも取り組めるようになり、営業範囲を大きく拡げることができました。さらに、出資者を日本やベトナムだけでなく、シンガポールやタイといった既に日系企業が進出している国にも拡げて“4ヶ国・4社”とすることにより、それぞれの国から様々な情報が集まる体制を整えました。この様にベトナムでは、タイ駐在が順調に経過したこともあり、現地法人の設立段階から日本本社に色々注文を付け自分の思う通りの体制を築いて、随分“わがまま”に経営を行った記憶がございます。まさに、駐在員にとって“良き時代”を過ごさせてもらいました。

ベトナム駐在が終わり、再びのタイ駐在を挟んだ後、年齢も年齢だけに日本に居を移し、日本本社から東南アジア各国を担当することとなりました。どの国も想い入れのある国ですが、その中でも、私が今注目しているのはカンボジアとミャンマーです。私も幾度となく両国に足を運んでおりますが、ベトナムの進出当時(約20年前)と雰囲気が似ており、街中にパワーがみなぎり、今後の経済成長を非常に期待しています。両国共に、徐々に日系企業進出のニュースを聞くようになりましたが、当社はカンボジアに2009年、ミャンマーには2012年に現地法人を設立し、日系企業のお客様のご要望に応える体制を整えてきました。
カンボジアにおける日系企業の進出の特徴としては、日系メーカーの進出はまだ少ないものの、逆に日系の商業施設が複数進出しており、「総合設備工事企業」として設備工事のフルサービスを行ってきた当社の特徴が活かされている好事例かと思います。また、ミャンマーにおいては、ベトナムでの経験を活かして日系商社から出資いただき、複数企業が参画するプロジェクトやこれまでお付き合いのなかった日系企業様からもお声が掛かるようになってきております。

このように、最初のタイをきっかけに、人生の半分以上を東南アジアを中心とした海外事業に携わってきました。どの国にも共通して言えることですが、海外に進出する日系企業として、進出する国に対する最大の貢献は“人材育成”だと考えています。特に、当社のように生産設備(工場)を持たない建設業では“人材”が最大の財産であり、日本から現地スタッフへ技術を移転し、現地のお客様に対して「日本の技術を現地価格で提供する」ことが最終的な目的だと思っております。
しかしながら、「言うは易く行うは難し」のことわざの通り、技術は日々進化し、一方でその技術の移転先である現地スタッフは「2~3年で転職することは当たり前」という状況です。当社の場合、現地法人のエンジニアのみならず、現場で作業してもらう協力業者(サブコン)の作業員に対しても、毎年、技術教育を実施しておりますが、なかなか「完全に技術が移転した」とは言い難い状況です。それでも、毎年の積み重ねが成果を生み、一人、そしてまた一人と成長したエンジニアが生まれており、その様な成長したエンジニアの中から将来性のある者を選抜して日本に招聘し、長期(6~12ヶ月)の技術研修も実施しております。他方、「東南アジア各国から日本に留学している学生を日本本社で採用し、日本で技術を学んだ後に母国へ帰国させ、母国でその技術を活かしてもらう」というプログラム(留学生採用)も進行しております。

以上、現地と日本の双方から“技術移転”を推進して「日本の技術を現地価格で提供する」という最終目的を達成し、これまでお世話になった東南アジアの各国、そして日本のお客様に対し恩返しが出来ればと考えております。改めて、これまでにご厚情を賜ったすべての皆さまに感謝を申し上げます。