コラム:アジアビジネス最前線(FRONT LINE OF ASIAN BUSINESS)
ラオスの経済特区とタイへの出稼ぎ問題
ラオス計画投資大臣特別顧問
ラオスビジネス商業大学(LSBC)学長
鈴木基義
1.はじめに
世界初の輸出加工区は、1959年にアイルランドのシャノン空港隣接地に設立された。2006年には130か国、3000カ所の輸出加工区が建設されてきたと、 Singa [2007]が報告している。輸出加工区に税制恩典を与え、外国企業を誘致することで外貨稼得や技術移転、国内資源の有効利用、雇用創出などを促進することが輸出加工区設立の目的であった。開発途上国は鉱物資源以外に輸出するものがないので、未発達な国内産業が工業品を輸出することは夢物語であった。これを実現したものが輸出加工区の発案であった。Warr [1990]は、韓国、インドネシア、フィリピン、マレーシアの4か国に対し、輸出加工区が外貨稼得と雇用創出に大きな貢献をなしていることを報告している。
しかし現在では輸出産業だけに恩典を与える輸出加工区(EPZ)はWTOの「補助金及び相殺措置に関する協定」(SCM協定)に抵触するため、全ての産業に類似した恩典を付与する形の経済特区(SEZ)の設立が主流となっている。
2.ラオスの経済特区概況
ラオスの経済特区の設立は、JICAが2001年に『タイ国東北地域開発計画』、『タイ・ラオス国境地域総合開発計画』および『サバナケット及びカムアン地域総合開発計画調査』の3つの開発調査を同時並行的に走らせ、同地域を開発していくために 57プロジェクトを提唱、その一つにサワン=セノ経済特区の設立がうたわれたのが端緒となった。
ラオスには現在12の経済特区が設立されている。このなかにはカジノやゴルフ場、商業貿易区といった観光型の経済特区もあるが、VITAパーク経済特区、サワン=セノ経済特区、サイセタ開発区、タケーク経済特区、パクセジャパン中小企業専用経済特区の5つが製造業の経済特区である。
日系企業だけを見ると、ヴィエンチャンのVITAパーク経済特区には、第一電子(給湯器のワイヤーハーネス)、ラオツール(ニッパ)、MMCエレクトロニクス(三菱マテリアル)、シシク(キャスター)、エポックラオ、TSBヴィエンチャン(銅線)の6社が操業している。ヴィエンチャンのサイセッタ工業開発区では、HOYA LAOS が20ヘクタールの用地を確保し、4000人の工場を建設中である。HOYA池田英一郎執行役員は、「AIなどの新技術の到来により情報量の増大がデーターサイバーインダストリー用のハードディスク需要の増大に直結している。このことがラオス工場の建設の理由」と今年2月8日に開催された地鎮祭のスピーチで述べた(鈴木[2019])。
ラオス中部のサワン=セノ経済特区のBゾーンには、ニコンラオ、B1ゾーンにいすゞトラックサービスファクトリーが操業している。CゾーンのSavan Parkには、KP BEAU LAO、トヨタ紡織、三鈴、木谷電機が操業している。ゾーンDには、近鉄エクスプレスが代表事務所を構えている。ゾーンAに建設されたサワン=セノ経済特区事務局(SEZA)には、ラオ西松建設、東洋ロザイ、NTTコミュニケーションズラオが事務所を構えている。SEZAの1階には、アデランスと光陽ラオが小規模ながら生産を継続している。
ラオス南部のチャンパサック県のパクセジャパン中小企業専用経済特区(PJSEZ)は西松建設がデベロッパーとして出資した日系の経済特区である。PJSEZには、レオンカワールドラオ(かつら)、着物の安藤、ナダヤラオ(皮財布)、越智製作所(化粧筆)、タカナ電機(コイル)、三幸ラオ(コンクリート2次製品)、パワーラオ(子供服)、クリスタルジェル(宝石研磨)、全日本武道具(剣道防具)が進出し操業を行っている。
3.タイへの出稼ぎ
タイへの出稼ぎが増え始めたのは、ラオスがアセアンに加盟した1997年以降と記憶している。ラオス人はタイへ入国する場合、ボーダーパスさえ所持していれば、パスポートを所持する必要がなかったため、タイでの就業は容易であった。タイでは工場や建設現場、飲食業、メイド業など慢性的な労働者不足に悩まされていた。タイ語とラオス語の類似性から言語障壁が極めて低いこともラオス人のタイへの出稼ぎを容易にさせていた。
タイ・タクシン首相が「2004年7月31日までに登記をおこなった外国人不法滞在者に対し、1年間の滞在と就労を認める」という政令を発布したところ、18万人を超えるラオス人不法労働者が登録に押し寄せたと、「Voice of America」[Aug. 3, 2004]は報道した。私がラオス人の不法労働者について関心を持ち始めたのはこのニュースが大きな契機となった。
ニコンはタイのアユタヤのロジャナ工業団地にワーカー7000人の工場を操業していたが、2011年の大洪水で工場1階部分が水没したため、ラオス中部のサワン=セノ経済特区に進出の模索を始めた。2019年7月現在で1800人のワーカーを雇用するまでに拡大してきたニコンであるが、2013年の進出当初はサワンナケート県で労働者が集まるか、村石社長(当時)は内心不安であったに違いない。ラオスは村長が村人の戸籍を把握していることに意外に思うかもしれない。村長の村落人口データを元に、サワンナケート県からタイへの出稼ぎ労働者が27万5084人と推計できた。労働人口に占める出稼ぎ労働者の比率は実に46%を超えた。つまり2人に1人がタイへ出稼ぎに出ている。これがラオスの現実である。筆者が乾期に訪れると、老人のみが取り残され、残りは皆タイへ出稼ぎに出ている農村があちこちに存在し衝撃を受けたものだ。
ラオスの人口は660万人と少ないので、労働人口も当然少ない。しかしだからといってラオスは労働不足国ではない。労働の需給でいえば、ラオスで雇用機会を見つけるのが難しいくらい労働供給が過剰な国だ。農村では過剰な家族人口を養えるほど豊かな生産量は豊かでないためラオスで職を見つけることが困難だから、タイへ出稼ぎに出ざるを得ない。タイ労働省幹部によればラオス人不法労働者数を50万人と推計している。
2019年のタイの法定最低賃金は月275ドル、ラオスのそれは133ドルであるから、タイはラオスの2倍高いことになる。しかしタイへ出稼ぎに出ると、アパート代、光熱費、食費、携帯代などの必要経費がかかるため、これを控除すると、タイでの可処分所得はラオスより月2000バーツ程度高いに過ぎない。となればラオスで家族のうち3人程度が経済特区の工場に勤務し、持ち家で祖父母が家庭菜園をすれば、タイで働くのと余り違わない実生活を送ることができるであろう。さらにラオスでは彼らは不法労働ではないという点で人権が認められている。筆者がラオスの経済特区に関わるようになったのは、ラオスに経済特区を設立し外国企業を誘致して、ラオスの失業問題・出稼ぎ問題を解決したいという気持ちが根底にあったからである。PJSEZの全日本武道具は、タイのラオス人出稼ぎ労働者に対してワーカーの募集を知らせ(鈴木基義[2019])、地元パクセのラオス人が帰還し、同社の主力戦力となっている。ラオスへの進出企業が増加し、今後このような募集形態をとる企業が増えることを祈念している。
<参考文献>
1. Jean-Pierre Singa Boyenge [2007], ILO Database on Export Processing Zones (Revised),
Sectoral Activities Programme, Working Paper 251, ILO, Geneva
2. Voice of America [Aug. 3, 2004]
3. JICA [2001] 『タイ国東北地域開発計画』
4. JICA [2001] 『タイ・ラオス国境地域総合開発計画』
5. JICA [2001]『サバナケット及びカムアン地域総合開発計画調査』
6. KP NISSEI MIZUKI [2011] 『サワンナケート県の出稼ぎ労働者調査』
7. 鈴木基義[2019年2月12日]「ラオス最前線 セイセタ開発区に4000人の工場 HOYA LAOS が地鎮祭」
『アセアン経済通信』金融ファクシミリ新聞社。
8. 鈴木基義監修[2019]「知られざるラオスの魅力とタイプラスワンとしての可能性を探る」
日刊工業新聞『工場管理』8月号。Vol.65., No.9.
9. Warr [1990], “Export Processing Zones” C. Milner (ed.), Export Promotion Strategies.
NewYork, Wheatsheaf.